院長あいさつ
院長 :冨安 志郎
クリニック開設までの経緯
緩和ケアとの出会い
1987年に佐賀医科大学(現 佐賀大学医学部)を卒業後、長崎大学医学部の麻酔科に入局いたしました。
麻酔に必要な知識·技術は、救急·集中治療の現場や痛みの治療に活かす事ができます。
私は平成8年より痛みの専門外来であるペインクリニック外来を担当するようになり、がんの痛みに向き合うようになりました。
世界保健機関(WHO)が提唱しているがん疼痛治療法に則って医療用麻薬を適切に使用すれば、がんの痛みの多くは和らげることが出来ます。
しかし、患者さんの痛みは身体的な要因だけでなく、病状への不安や気分の落ち込みなどの精神的なつらさ、家庭や職場での役割りの喪失や費用の心配事など、様々なつらさが重なり合って発生しています(全人的苦痛)。
鎮痛薬や神経ブロックなどでからだの痛みを緩和しても患者さんの表情が明るくならない事もあります。
何故だろう、と考えている時に「緩和ケア」という医療·ケアの事を知りました。
的場元弘先生との出会い
緩和ケアとは「重い病のある患者さん、ご家族に発生する様々なつらさを緩和し、生活の質を改善するアプローチ」のことです。
身体的な痛みだけでなく、心理社会的、スピリチュアルな痛みに一体的にアプローチする医療·ケアの事です。
苦痛の原因が多岐にわたることから、多職種によるチーム(緩和ケアチーム)で対処することが重要です。
平成14年当時、緩和ケアと言えば専門病棟(緩和ケア病棟·ホスピス)で終末期のがん患者さんに提供されるもの、という認識でしたが、病院において積極的に重い病の治療を行われている患者さんにも苦痛症状の緩和を必要とする方がたくさんいらっしゃいました。
当時九州には先進的に緩和ケアを提供している病院はありませんでした。
そこで私と同じ麻酔科出身で緩和ケアチーム活動を行っておられた北里大学の的場元弘先生(現青森県立中央病院副院長)に研修の受け入れをお願いしました。
的場元弘先生は米国でのホスピス·緩和ケア研修を経て母校の北里大学病院で緩和ケアチーム(Teamkanwa)を多職種で構成し、全人的苦痛に対処されていました。
先生には全く見ず知らずの私を快く受け入れていただき、症状緩和の知識·技術、ケア、患者さんに向き合う態度などたくさんのことを教えていただきました。
的場先生は 他職種、特に薬剤師と密に連携しながら薬物療法を行っておられ「患者さんの苦痛緩和には相談できる薬剤師と協働することが不可欠だよ」と教えていただきました。
この教えを胸に長崎大学に戻り、今や全国の緩和ケアに携わる薬剤師のオピニオンリーダーである龍 恵美先生と共に活動を開始し、当時の澄川耕二病院長の要請にお応えして平成15年8月に長崎大学病院緩和ケアチームを立ち上げるに至りました。
SCORE-Gとの出会い
的場元弘先生は平成14年末、私が研修を行っているときに「がん疼痛治療レシピ2003」という本を発刊されました。
これは緩和ケア領域で活動する人なら一度は手に取ったことのある名著でネット上でプレミアがつくなどベストセラーになりました。
先生はその内容を全国の緩和ケアの現場で働く医療従事者にわかりやすく啓発する講演活動も行っておられました。
そして全国で知り合った医師、薬剤師を中心とした「がん疼痛・症状緩和に関する多施設共同臨床研究会(Symptom COntrol REsearch Group: SCORE-G)」を結成され、私も設立から関わらせていただきました。
この研究会を通じて緩和ケアに関する様々な領域のトップランナーの方々の知識、
そして何より研究者として、臨床家としての態度を学ぶことができたことは、今でも私の宝物です。
長崎在宅Drネットとの出会い
私が緩和ケアチームを長崎大学病院に発足させた平成15年は、長崎市において在宅医療を担う診療所の先生たちのネットワーク、長崎在宅Drネット( doctor-net.or.jp) が活動を開始した年でもありました。
病があっても、最期まで自宅で療養したい人が、在宅医がいないために家に帰れない事ががないようにしたい、という思いで立ち上がったネットワークです。
当時、病診連携といっても、どうしたら良いか、全く手探りの状態でしたが、在宅の受け皿を担う先生方と緩和ケアチームを担う私たちの年齢が近かったことや、
長崎県南地域の医師のほとんどが一度は長崎大学で働いた事がある、という関係の近さから活動が盛り上がり、がん終末期の患者さんの在宅移行が進みました。
一緒に勉強会をし、終了後は飲みにケーションを行ってより親交を深めました。
また職種を越えて交流することも増え、薬剤師さんのネットワークP-ネットや訪問看護師さんのネットワークN-ネットなどが立ち上がり、施設、職種を越えた情報共有が可能になりました。
緩和ケア普及のための地域プロジェクト(OPTIM)
こうした取り組みが全国的にも取り上げられるようになり、平成20年からの3年間、長崎市は長崎市医師会が中心となって 厚生労働科学研究費補助金第3次対がん総合戦略研究事業「 OPTIM - 緩和ケア普及のための地域プロジェクト (umin.jp) 」の介入対象地域となりました。
これは、どういった取り組みを行えば、緩和ケアの利用率が上がり、重い病があっても最期まで自宅で療養できるようになるだろうか、ということを検証する研究でした。
3年間の取り組みで見えてきた答えは、
- 病院スタッフは患者さんの自宅での生活を思い描きながら医療・ケアを提供すること、
- 在宅スタッフは、今病院で行われている治療の現状などを折に触れて学ぶこと、
そして病院、在宅のスタッフが関わった患者さんの振り返りや一緒に学ぶ場を設け、
結果として病院-在宅の顔の見える関係性が構築されることが重要という結果でした。
この結果を基に多くの多職種研修会が、現在はリモート会議をも活用し、開催されています。
私は緩和ケアリソースのない病院や、症状緩和の困難な在宅患者さんの所に病院や在宅医の依頼で訪問する地域緩和ケアチームを担当し、在宅の現場にも赴く機会が増えました。
そこには病院で見たことがないような患者さん達の笑顔がありました。
病状が厳しい時期であればなおの事、住み慣れた環境が患者さんには必要だということを学びました。
このOPTIMで得られた成果は在宅医療全般に適用可能であることから、以降の在宅医療連携拠点事業や現在の地域包括ケアシステム構築の礎となり、今も息づいています。
在宅医療の現場へ~佐賀県伊万里市での実践~
OPTIMの活動がひと段落したころ、母校の佐賀大学から緩和ケアの教官として来ないか、というオファーがありました。
長崎でのイベントがひと段落したことや、実家の福岡県柳川市に近くなること、認知症を患った父の介護にも少しは役に立てるかな、という思いもあり、お受けすることにしました。
しかしこれまで緩和ケアの実践は病院での実践のみであり、在宅や緩和ケア病棟での勤務経験がありませんでしたから、
まずは3年ほど緩和ケア病棟、在宅医療の現場で勤務する事を申し出たところ、佐賀県伊万里市の光仁会西田病院をご紹介いただきました。
佐賀県伊万里市の光仁会西田病院
西田病院では、緩和ケア病棟20床を担当していましたが、西田博理事長には家に帰りたい患者さんがおられれば、病床に空床が出ても患者さんの意向を尊重して家に帰すこと、またその患者さんの訪問診療に行くことを許可していただきました。
自宅に帰ると、やはり長崎で経験したように、患者さんの表情が和らぎます。
そうすると最初は自宅で介護することに不安を抱いておられたご家族にも次第に安心感が生まれます。
訪問看護、薬剤、医師の協働で医療の質は落とさず、その人らしい「くらし」を少しでも長く続けていただくお手伝いにやりがいを感じ、
自分の医師人生の締めくくりは在宅で、と考えるようになりました。
隣から見た長崎県北の緩和ケア事情
在宅に行きだすと患者さんの住所が気になりだしますが、西田病院緩和ケア病棟入院患者さんの3割程度の方が長崎県北から見えられていることがわかりました。
片道1時間近くをかけてほぼ毎日ご家族が通ってこられる場合もありました。
ある患者さんのご家族に「これだけ熱心に見えられるのならご自宅に戻って在宅緩和ケアを受けられては如何ですか?」とご提案したことがあります。
そうすると「家に帰ることも考えたんですが、結局看取ってくれる先生がおられないので最後は病院ですよ」と言われました。
「病院に戻るくらいなら緩和ケアの専門病棟の方が良いと思い、来ました」とのお返事でした。
同じようなお答えをいただいた方が少なからずいらっしゃいました。
県南では家に帰りたいと希望される患者さんの8割の方の在宅主治医が1日のうちに見つかることからすると、
同じ長崎県でも県北と県南ではかなり事情が異なることに驚き、何とかならないものか、と思うようになりました。
伊万里から長崎県北へ
長崎県南と県北の医療事情の違いについて、ある時佐世保市総合医療センター理事長として赴任されていた澄川耕二先生とお話したことがありました。
佐世保市総合医療センターは県北人口30万人の医療圏の中核病院で、松浦市、平戸市からの患者さんも多く診療に見えられますが、
終末期になると帰る場所がなく、佐世保で亡くなる方が多いのだ、ということでした。
平成28年(2017年)頃の事ですから全国より高齢化が進んでいる平戸市、松浦市が2025年問題に突入した時期にあたると思いますが、
家に帰りたい人が帰れるような在宅の受け皿作りが県北では喫緊の課題だ、という認識で一致しました。
それから1年後、大学で教鞭をとることにどうしても前向きになれず、佐賀大学への任官はお断りさせていただきました。佐賀大学には大変申し訳ないことをしたと思います。
特にこれといって決めていたことはなく、漠然と長崎県北の在宅医療に関われないか、と考えていた時、澄川先生から佐世保市総合医療センターに緩和ケア科を新設するから来ないか、とお声がけをいただきました。
また長崎県で在宅や緩和ケアに関わる機会をいただきました。
佐世保市総合医療センターから在宅へ
佐世保市総合医療センターは地域がん診療連携拠点病院として多くのがん患者さんの診療を行っている病院です。
治療中から発生する様々な苦痛症状の緩和を行う、いわゆる「支持治療」が緩和ケア科の大きな役割です。
入院患者さん20~30名、外来患者さん5名前後を毎日診療していましたが、合わせて治療終了後に在宅療養を希望される患者さんでかかりつけの先生が往診をされない場合、当科からの訪問診療も開始しました。
そこで訪問看護ステーションや訪問薬剤指導を行ってくれる薬剤師と出会うことができました。
県北地域も佐世保市総合医療センター以南は診療所の先生方で在宅医療を実践されている先生方も多く、連携も可能ですが、
以北は診療所も少なく、医師数も減少傾向にあり、絶対的に外来患者数が増加していて、在宅医療に手が回らない、とおっしゃる先生方が多い状況であることがわかりました。
協働できる先生を探すより、いっそ自分でやろう、と思うに至りました。
これがクリニック開設に至る経緯です。
北松浦郡佐々町に開設した理由
理由は2つあります。
ひとつは訪問範囲の問題です。伊万里にいた頃に県北から見えられていた患者さん達は松浦市や平戸市の方々でした。
在宅医療の訪問範囲はクリニックから半径16㎞の範囲と定められています。
そうすると福島町を除く松浦市、平戸島を除く平戸市に訪問できるとなると佐々町が南限になる、という理由からです。
もうひとつは、佐々町は高齢者介護・福祉に力を入れておられ、介護予防で一定の成果をあげておられます。
介護が必要になった後、特に人生の最終段階を支えられる医療が充実すれば、地域包括ケアシステムを完結させられる、そんなポテンシャルのある町だと思ったからです。
3月から地域ケア会議に参加しています。
4月からは介護認定審査員もお引き受けし、佐々町が地域包括ケアシステムのモデルになるようなお手伝いができれば、と考えています。